広島県
私はここにいるが、いない、という感覚。
目を開けば、自分の断片的な姿は見える。それは「断片」であって、「私ではないという存在」ではない。断片的な情報から、「私がいる」と推測しているのだ。
しかし私という存在は見えない。
私を証明するものは何か。家族によって認識される「私」、コンビニの店員によって認識される「私」。政治家の不祥事を友人に怒っている「私」。「私」は私以外の誰かによって照らし出される。
いずれも他者の存在によて、「私が存在する」ことが証明されている。私と違う「私」を。
ー私は私によって「私」であることを証明しうるのあろうか?
「私」は、私の思うことを声に出すことによって、文字を打つことによって、書くことによって、行動することによって、見えない「私」が姿を表す。
展示会場:山下家納屋
2019 | 個展「不可分な領域」(倉敷:ギャラリー倉敷)企画展、「吹屋ベンガラート」(高梁:吹屋)、「かがわ・山なみ芸術祭 2019SHIONOE・MANNO」(塩江) |
2020 | 個展「崩壊と再生―序章」(倉敷:ギャラリー倉敷)企画展 |
2021 | 個展「見えざるもの」(神戸:自在空間 Art Step)企画展、個展「記憶の行方」(横浜:ATELIER・K)企画展、個展「記憶,したたる」(神戸:city gallery 2320)企画展、グループ展主催「Q」(倉敷:倉敷市立美術館) |
2022 | グループ展[第4回山の小さな展覧会」(まんのう町)、個展「記憶の遠景」(神戸:自在空間 Art Step)企画展、 グループ展「赤で彩るアート展」(高梁:旧吹屋小学校)、グループ展主催「Q」(倉敷:倉敷市立美術館) |